〒207-0014 東京都東大和市南街5-67-4
【営業日】毎週月曜日9時〜22時 【定休日】月曜以外全て
モンテッソーリさんってどんな人?
みなさん こんにちは!🍀 産休中&里帰り中なので、重い腰をやーっとあげて 料理を頑張り始めた保育士Chikaです!(笑) #ちなみに料理は数ある家事のうちで一番嫌いだよ😂 #出来る限り時間をかけたくないからクックパッドは課金勢だよ😂 #クックパッドさまさま!本当に感謝!!!😂
さて今日は、私が学んでいるモンテッソーリ教育を創り上げた 「マリア・モンテッソーリ」さんについてお話したいと思います!
彼女がなにからこの教育の発想を得て、カタチに作り上げたのかの背景を知ることで、 【モンテッソーリ教育】が発信している本当のメッセージを少しでもお伝えできらたと思います!
ぜひ、モンテッソーリさんの事や、モンテッソーリ教育を知って、 興味を持っていただけると嬉しいです✨
では、はじまりはじまり〜!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▶︎モンテッソーリとは女医さんです! ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
モンテッソーリ教育の「モンテッソーリ」とは、人の名前です!
本名は マリア・モンテッソーリさん。 1870年(明治3年)8月31日にイタリアのアンコナ州キアラヴァレという街の生まれです。 さらに、イタリアの名門であるローマ大学医学部を女性で初めて卒業した、 イタリア初の女性医師です! #すごい人なのです!!!!!
モンテッソーリは、精神病に関心があり、 自分で個人診療所を開きながら、 ローマ大学の附属病院「聖ジョバンニ病院」でも助手として務め、 障がい児を対象に治療に努めたそうです。
モンテッソーリは、 「子どもはこんなもんだろう」という先入観や 大人の一方的な思い込みで子どもに接するではなく、 医師としての目で科学的に子どもたちを注意深く観察し、 その子どもの今の課題は何なのかを見極めた上で、 最適の処方をしてくという治療方法を実践していきました。
その結果、 当時、障がい児は、教育の可能性などないと言われていたそうですが、 モンテッソーリがかかわり、治療を進めたところ、 字が読めるようになったり書けるようになったりした子が出てきたそうです!
モンテッソーリはこの事実を目の当たりにして、 「同じ方法で、健常児を教育していったら、 きっとその個性をも著しく開花させることが可能だろう」と確信したそうです!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▶︎健常児の教育と「子どもの家」の設立 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ さて、ここで当時のローマの様子のお話を少しします。
当時のローマはイタリアの首都になり、新しい近代的な建物が沢山建っていた反面、 着工されても未完成のまま放置されていう住宅も沢山あったそうです。
ローマのサン・ロレンツォという地区にも未完成のまま放置された建物が沢山ありました。 でも、未完成物件をそのままにしてくと、犯罪者の巣窟になる危険性があったため…、 下層階級の家庭が住めるように割り当てられたようです。
おうちがあることは良いことですが、子どものいる家庭には困った問題がありました。 「まだ学校に行く歳に達していない子どもたちをどうするか」という問題です。 #下層階級の家庭では共働きだっただろうし、どこかの施設に預ける金銭的余裕もなかったんだよね…。。。
そこでお偉いさんたちが話し合って(笑)、 「日中、子どもたちだけにしてはおけないからなんとかしてくれ!」 と、ご指名されたのが、モンテッソーリだったのです!
障がい児の変化を目の当たりにし、 健常児にも教育をしたい!と思っていたモンテッソーリには またとないチャンス!すぐにOKしたそうです。
こうして、1970年(明治40年)1月6日、世界初の「子どもの家」が誕生したのです!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▶︎「子どもの家」での教育は【子どもを観察すること】から始まる ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 子どもの家での教育でモンテッソーリが何よりも大切にしたのは、 【子どもを観察すること】でした。
モンテッソーリは「教育の主体は子どもである」ということを大前提にしていたのです。
だからこそ、目の前にいる子どもをよく観察して、その子どもたちに合わせた教育をすることに努めました。
大人が抱きがちな「子どもはこんなもんだろう」という先入観や思い込みではなく、 目の前にいる子どもたちを観察することから教育をしていく。
これは、モンテッソーリが障がい児とかかわっていた時と同じ方法です。 つまり、科学の目を持って教育に取り組んだのです。
モンテッソーリ教育はよく、「科学的な教育法だ」と言われますが、 モンテッソーリが医師の目を持って、科学的に子ども達を観察したからこそ、 そのように言われているのです。
では、モンテッソーリが「子どもの家」を開設してからどんなことが起きたのでしょう?
当時の教育は「教師が子どもに教える(教え込む)こと」と捉えられていましたが、 モンテッソーリの子どもの家では、
「子どもたちが主体となって自ら学ぶ」というスタイルで教育が進められました。
子どもたちはみんなイキイキと活動に取り組み、見違えるように変化したそうです。 すると、世界各国から子どもの家に見学者が大殺到!!! こうして、各国にこの教育法が持ち帰られて、どんどん広まって行ったのです。 これが、長い時間をかけて現代の日本にも伝わっているというわけです!
ざっくりとですが、これがモンテッソーリ教育ができるまでの 大まかなストーリーです!
今後は少しずつ、モンテソーリの考え方や子どもたちの見方、具体的に行った教育方 についても書いていこうと思いますので、読んでいただけると嬉しいです!
今日も熱いblogを読んでくださって ありがとうございました!🔥 (笑)
では!また次回の記事でお会いしましょう!👋
22/04/25
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みなさん こんにちは!🍀
産休中&里帰り中なので、重い腰をやーっとあげて
料理を頑張り始めた保育士Chikaです!(笑)
#ちなみに料理は数ある家事のうちで一番嫌いだよ😂
#出来る限り時間をかけたくないからクックパッドは課金勢だよ😂
#クックパッドさまさま!本当に感謝!!!😂
さて今日は、私が学んでいるモンテッソーリ教育を創り上げた
「マリア・モンテッソーリ」さんについてお話したいと思います!
彼女がなにからこの教育の発想を得て、カタチに作り上げたのかの背景を知ることで、
【モンテッソーリ教育】が発信している本当のメッセージを少しでもお伝えできらたと思います!
ぜひ、モンテッソーリさんの事や、モンテッソーリ教育を知って、
興味を持っていただけると嬉しいです✨
では、はじまりはじまり〜!
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▶︎モンテッソーリとは女医さんです!
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モンテッソーリ教育の「モンテッソーリ」とは、人の名前です!
本名は マリア・モンテッソーリさん。
1870年(明治3年)8月31日にイタリアのアンコナ州キアラヴァレという街の生まれです。
さらに、イタリアの名門であるローマ大学医学部を女性で初めて卒業した、
イタリア初の女性医師です!
#すごい人なのです!!!!!
モンテッソーリは、精神病に関心があり、
自分で個人診療所を開きながら、
ローマ大学の附属病院「聖ジョバンニ病院」でも助手として務め、
障がい児を対象に治療に努めたそうです。
モンテッソーリは、
「子どもはこんなもんだろう」という先入観や
大人の一方的な思い込みで子どもに接するではなく、
医師としての目で科学的に子どもたちを注意深く観察し、
その子どもの今の課題は何なのかを見極めた上で、
最適の処方をしてくという治療方法を実践していきました。
その結果、
当時、障がい児は、教育の可能性などないと言われていたそうですが、
モンテッソーリがかかわり、治療を進めたところ、
字が読めるようになったり書けるようになったりした子が出てきたそうです!
モンテッソーリはこの事実を目の当たりにして、
「同じ方法で、健常児を教育していったら、
きっとその個性をも著しく開花させることが可能だろう」と確信したそうです!
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▶︎健常児の教育と「子どもの家」の設立
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さて、ここで当時のローマの様子のお話を少しします。
当時のローマはイタリアの首都になり、新しい近代的な建物が沢山建っていた反面、
着工されても未完成のまま放置されていう住宅も沢山あったそうです。
ローマのサン・ロレンツォという地区にも未完成のまま放置された建物が沢山ありました。
でも、未完成物件をそのままにしてくと、犯罪者の巣窟になる危険性があったため…、
下層階級の家庭が住めるように割り当てられたようです。
おうちがあることは良いことですが、子どものいる家庭には困った問題がありました。
「まだ学校に行く歳に達していない子どもたちをどうするか」という問題です。
#下層階級の家庭では共働きだっただろうし、どこかの施設に預ける金銭的余裕もなかったんだよね…。。。
そこでお偉いさんたちが話し合って(笑)、
「日中、子どもたちだけにしてはおけないからなんとかしてくれ!」
と、ご指名されたのが、モンテッソーリだったのです!
障がい児の変化を目の当たりにし、
健常児にも教育をしたい!と思っていたモンテッソーリには
またとないチャンス!すぐにOKしたそうです。
こうして、1970年(明治40年)1月6日、世界初の「子どもの家」が誕生したのです!
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▶︎「子どもの家」での教育は【子どもを観察すること】から始まる
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子どもの家での教育でモンテッソーリが何よりも大切にしたのは、
【子どもを観察すること】でした。
モンテッソーリは「教育の主体は子どもである」ということを大前提にしていたのです。
だからこそ、目の前にいる子どもをよく観察して、その子どもたちに合わせた教育をすることに努めました。
大人が抱きがちな「子どもはこんなもんだろう」という先入観や思い込みではなく、
目の前にいる子どもたちを観察することから教育をしていく。
これは、モンテッソーリが障がい児とかかわっていた時と同じ方法です。
つまり、科学の目を持って教育に取り組んだのです。
モンテッソーリ教育はよく、「科学的な教育法だ」と言われますが、
モンテッソーリが医師の目を持って、科学的に子ども達を観察したからこそ、
そのように言われているのです。
では、モンテッソーリが「子どもの家」を開設してからどんなことが起きたのでしょう?
当時の教育は「教師が子どもに教える(教え込む)こと」と捉えられていましたが、
モンテッソーリの子どもの家では、
「子どもたちが主体となって自ら学ぶ」というスタイルで教育が進められました。
子どもたちはみんなイキイキと活動に取り組み、見違えるように変化したそうです。
すると、世界各国から子どもの家に見学者が大殺到!!!
こうして、各国にこの教育法が持ち帰られて、どんどん広まって行ったのです。
これが、長い時間をかけて現代の日本にも伝わっているというわけです!
ざっくりとですが、これがモンテッソーリ教育ができるまでの
大まかなストーリーです!
今後は少しずつ、モンテソーリの考え方や子どもたちの見方、具体的に行った教育方
についても書いていこうと思いますので、読んでいただけると嬉しいです!
今日も熱いblogを読んでくださって ありがとうございました!🔥 (笑)
では!また次回の記事でお会いしましょう!👋
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